先日、ずっと気になって手元に残していたニュースを読み返しました。
「墓友(はかとも)」という言葉をご存じでしょうか。
将来、同じ霊園に眠る予定の方々が、生きているうちから交流する。
そんな取り組みを続けているNPO法人が、東京にあるそうです。
読書会をしたり、体操や合唱を楽しんだり。
月に一度集まって、本の感想を語り合い、持ち寄ったお弁当を囲む。
ごくふつうの、でもあたたかな時間です。
ただ、そこでときどき出てくる話題が、少しだけ、ほかの集まりとちがいます。
「遺言書、元気なうちに準備しておいたほうがいいですよ」
「この間、内容を書き換えに法務局へ行ったけれど、思ったより簡単でした」
死や、その後のことを、遠ざけずに話せる。
むしろ笑い合いながら話せる。
「あの世で再会したら、ワインで乾杯しましょうね」
なんて冗談も飛び交うのだそうです。
私がこの記事に惹かれたのは、
「死の話をタブーにしない場所」
が、こんなにやわらかい形で存在していることでした。
終末期の医療のこと。
ひとりで暮らすことへの不安。
そういう話は、家族にはかえって切り出しにくかったりします。
でも、同じ立場の仲間となら「お互いさま」で話せる。
血のつながりだけに頼らず、横のつながりで支え合う。
そんな生き方が、静かに広がっているようです。
この記事を読みながら、私は自然と「遺言書」という言葉に目が留まりました。
遺言書というと、身がまえてしまう方が多いかもしれません。
「まだ早い」
「大げさな気がする」と。
でも、墓友の方々のように、元気なうちに、笑って話しながら準備しておく。
それはきっと、残された人への思いやりであると同時に、自分自身が安心して今を過ごすための準備でもあるのだと思います。
死を怖いものとしてただ遠ざけるのではなく、少しずつ手のなかに置いて眺めてみる。
そうすると、こわばっていた気持ちが、ほんの少しほどけることがあります。
もし「そろそろ考えてみようかな」と思うことがあれば、そのときはどうか、気負わずに。
いきなり完璧な遺言書を書く必要はありません。
まずは、大切な人やものについて、心に浮かんだことを手書きのメモに残してみる。
それだけでも、立派な第一歩です。
「安心して話せる場所」があるだけで、
人は少し前を向けるのかもしれません。
このニュースを読んで、そんなことを考えました。
墓友の集いのように、あなたのそばにも、
安心して話せる相手がいますように。


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